綱生山 當光寺

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更新日 2024-07-11 | 作成日 2019-01-25

綱生山當光寺をご紹介します 寄稿 堤様
令和6年7月11日

 綱生山當光寺は、三田通りから綱の手引き坂を上りきって少し進んだ右手にあります。室町時代に、麻布山善福寺と共に浄土真宗に改宗しました。その後本願寺傘下の寺院になった際に、當光坊から當光寺に改め、今に至っているそうです。
 現在のご本堂は、明和4年(1767年)に建立された躯体を生かし、幾度かの修復を経て現在に伝わり、中にはご本尊の阿弥陀如来がまつられています。本堂へのアプローチは、少し下り坂になっており、ここを下りながら、俗世から解放されて、ご本尊の前で手を合わせると、安らぎを得られる一時になるかもしれません。
 ところで、このお寺には、渡辺綱にまつわる伝承が今に伝えられています。
 綱は、この小山台で誕生し、その家の仏堂があった場所がここ當光寺だそうです。さらに、いわゆるリタイアした綱が、恵信僧都作の阿弥陀如来を携えここに戻り、當光寺の前身の御坊で念仏三昧の余生を送ったとも。そして、その仏像はご本尊として引き継がれたとか。ご住職のお名前も渡邉さんとおっしゃいます。そして、山号は、こうしょうざん(綱生山)、つまり、綱が生まれたと綴ります。
 諸説はありますが、綱にまつわる伝承は、小山台一帯にも伝わっています。
 綱は、嵯峨天皇五世の孫で、10世紀から11世紀にかけて活躍し、鬼退治で有名です。ちょうど今年の大河ドラマ「光る君へ」とほぼ同じ時代に生きた人物といえます。上司 源頼光が、道長に仕えていたと伝えられていますので、綱も、あの榎本佑さん演じる藤原道長の尊顔を拝したことがあったかもしれません。一方で、藤原摂関家が台頭していく中で、天皇の直系であっても、岸谷五朗さん演じる藤原為時、つまり紫式部の父とほぼ同じような受領階級だった様子です。1000年前、社会システムが大きく変化していく中、武術を磨き、武士という新しいステータスを作った人の1人といえるかもしれません。
 綱の活躍は、御伽草子を始め、能や歌舞伎でも伝えられていますが、江戸時代には、綱の勇猛ぶりを題材にした歌舞伎「茨木」が作られ、中村芝翫によって上演されました。今でいうポスターのような浮世絵が、當光寺のホームページで紹介されていますが、この中心に居るのが、芝翫演じる綱だそうです。綱は、美形と伝わる嵯峨天皇ならびに、その親王で光源氏のモデルの一人と言われる源融の血を受け継いでいます。DNAを考えると、イケメンの勇猛果敢なヒーローだったかもしれません。歌舞伎の主役にぴったりですね。そして、この浮世絵には、當光寺をはじめ、三田にある綱ゆかりの地が紹介されています。さらに、
 「綱か古蹟を見たかへ 三たとも 三たとも 三たとも 三たび廻て よく 三田」
 “(地名の)三田” x ”見た” が何度も繰り返されています。現在までのところ、綱の話は伝承の域をでていませんが、この当時の人々の我が街の英雄に対する誇らしさが感じられます。
 来た道に戻りあたりを見渡しながら、高台に豪族館、西に麻布山善福寺の御堂、東に天祖神社(元神明宮)、そして眼下に広がる水田を想像してみてはいかがでしょうか?
 1000年前の三田にタイムスリップできるかもしれません。

當光寺沿革

 當光寺の在る三田界隈は「渡辺の綱」出生の地と伝えられていて、當光寺向かいのオーストラリア大使館には「渡辺の綱」の産湯に使ったと云われる井戸があり、當光寺の山号も『綱生山』となっています。
 また、「渡辺の綱」が晩年をこの地で過ごしたとも伝わっています。

 當光寺に伝わる話では、當光寺の始まりは渡邉家の内仏寺で御本尊は恵心僧都作の阿弥陀如来像であったそうです。「渡邉の綱」が仕えた源頼光の異母弟である源賢は恵心僧都に師事し僧となり、父満仲も出家させた話が今昔物語に載っています。その関係で渡邉の綱が恵心僧都より賜ったとも考えられます。
 もっとも、當光寺の現在の御本尊は江戸期作で、この恵心僧都の阿弥陀如来像が、いつの時代どうなったのかは、まったく伝わっていません。

 當光寺の宗派は浄土真宗本願寺派ですが、以前は真言宗だったと伝わっています。近在の大寺『麻布山善福寺』に親鸞聖人がおいでになり、その高徳に感銘を受けた了海上人が改宗され、その流れで當光寺も浄土真宗になったそうです。本願寺傘下の寺院になったのは弘治3年(1557)のことで、ご本山に認許され、それまでの當光坊という名称を當光寺に改めました。

 平成21年3月に無事修復を完了した本堂は明和4年(1767)に建立され、安政大地震・関東大震災で被災しながらも修復され、昭和52年(1977)に内装のみ修復されました。
 今回の本堂修復は、関東大震災以来、手つかずのままだった基礎部分から全体的に修復をおこないました。平成22年4月には落慶法要が勤まりました。

浮世絵について

作品名 江戸の花(華) 名勝会 さ 三番組  【上の画像をクリックすると拡大表示できます】
作家  三代歌川豊国(歌川国貞)
制作年 文久3年(1863)
彫り師 彫巳の

役者絵、風景画で著名な三代歌川豊国の江戸名所シリーズのうちの1枚。
没年が1864年とされるので最晩年の作品といえます。
作品は、渡辺綱ゆかりの三田界隈を紹介。歌舞伎役者「中村芝翫」演ずる渡辺綱と丈の屋号「成駒屋」の祇園守の紋が配されています(歌舞伎狂言の題名は『茨木』です)。1860年に襲名した四代目中村芝翫(後世に大芝翫と呼ばれる名優)と考えられます。

では絵の中の詞書を見てみましょう。三田尽くしになっていて楽しいです。

三田名物~「魚らん餅」「御茶所米田園」「砂糖漬木村」「靏友」「虎屋」

役者絵の右は、有名な渡辺綱の鬼退治伝説から。

 √綱ハ上意を蒙りて 羅生門へそ来りける
 √綱ハおにとねぢ合ふといふ 鬼ハ綱とねぢ合ハぬと云
 アレ しころがれきれるきれぬといふ
 おにが手をきられて わらハヽるる

役者絵の背景には三田八幡宮が描かれています。

高札の左側は、しゃれ歌ですね。

 綱か古蹟を見たかへ
 三たとも 三たとも 三たとも 三たび廻て よく 三田

高札の中には、 渡辺綱の時世の一首と三田の名所が述べられています。

 綱が辞世
 今まてハ命つなきし 駒なれと かくては綱も たのミすくなし

 名所名物 江戸の土 金の札 一坪千両
 綱が手引坂 綱坂 産湯の水
 出生の地ハ 綱生山當光寺
 塚ハ功運寺 守神ハ
 窪三田八幡宮 世俗ニ云云

豊国画
周麻呂写

※浮世絵は株式会社アトリエ・フォア・エイ天野彰様提供の作品です。
※解説は江戸東京博物館資料を参考に、元徳川林政史研究所須田肇先生にご協力をいただき永田がまとめました。